自分の心の痛みが他者の萌えツボだったら?
ビアンと百合ヲタ・ゲイと腐女子の確執みたいなのの原因じゃないのかと思えることを、今回タイトルに凝縮してみた*1。
最近気がついたこと。
ここで紹介した本の中の1本の短編によって、自分の心の痛みの原因というか、辛かった経験が描いてあるかのような話で萌えた人間がいるということに気が付いて、いろいろと怒りを覚えた。今の今までそういうことに気付けなかった自分に対する怒りもあるが。
「面白ければなんでも読む」人間でいたいけど、ダメだった。
カタルシスにたどり着く前に打ちのめされ過ぎた。
紹介してたのは百合サイトだけど、内容はとあるクラスの中で繰り広げられる、ある意味女同士に潜む容赦ない人間関係の話、とまとめてみようか。
その人物のレビューは、主人公の視点から見れば確かにその通りなのだけど、私には、「主人公が自分を冷静に見ることが出来ていない状態で、横暴なヤツにいいように利用されている話」にしか見えなかったから、この短編を最後まで読むことが出来なかった。
これで、そういえばあのサイトこの本紹介してたな、と思って見に行って、結果上で書いた心理状態になった私。
神経がささくれだっている折なので、しばらく注意しなくてはいけないのだけど、そういった出来事によって、ふと、ビアンが百合読むひとに、ゲイが腐に、「自分の心の痛みで無責任に萌えやがって」てなことを思っていたのかな、という発想になったりした。
まあ、腐女子も百合オタも、そういう理由で読めないタイプの*2作品があるはずだから、場合によっては別の人たちにそういう怒りをぶつけたくなる可能性だってあるけどさ。
まあ、今の私は、なにが好きでなにが嫌いか、いろいろ無自覚だったものがハッキリしていっている。いい大人がなんで、と自分で思うけど、これは実は「育ち直している」部分で、過去に過干渉を受けて阻害されてきた部分だったのだとしたら、これもまた必要な過程なのかもしれない(と都合良く解釈してみる)。
しかし、気付いてしまった今、今後もずっと創作をやっていきたい者として、どうしたら良いのか。
とりあえず、なおいっそうの慎重さを自分に課さねばならないことは間違いないな、と感じる出来事でもあった。
根の深そうな問題でもあるし。
私にはよくあることだが、今回もまた、言葉足らずな記事になっているかもしれない、ということは書いておきますね。