2007年上半期のこのブログの状況をご存知の方なら、「おっ、こういう本扱うの久々じゃない?」と思う方がいるかもしれませんね。記憶違ってたらすみませんがw
いろいろお勉強できましたが、実は今って、12月12日の午前1時なんですわ。
今週土曜日は、久々にバイトに行くことになってしまってます。だから、いつまでも起きていると、前回(昨年秋)にそのバイトをした時のようにしんどい思いをするのが目に見えているので、場所だけとっておいて、明日書くことにします。
ちょっとお待ちくださいませ*1。残りの更新部分は閉じて書くことになりますけどね。毎度お馴染みの、スペースの節約の意味なのですがw

- 作者: 三橋順子
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〜〜12:20追記
夜明けからだいぶ過ぎました(汗
では行ってみましょう。
ところどころ読んでてえぐい文面があったりした本ではあります(汗
学究的に表現上必要だから入っているとはわかるのですがね。
各章のオープニングの語り口が昔話的で楽しいし。
現代に近いあたりのお話は、以前読んだことのある、著者さんのサイトでの話とダブる話題もけっこうあったので、ところどころニヤッとしてもいたりね(嫌な性格だよなあおい)。
江戸時代の陰間のお客さんに女性も多かったというのがまずは新発見でしょうか。
昔読んだ、本田恵子の『お江戸は眠れない!』って、実は、ヒロインが花魁でヒロインと付き合う男の子が陰間だったという設定だったんだけど、この漫画を今もっかい読み返したらなにが見つかるかなとも想像したりね。この本読んでから述懐してみると、いろいろな意味ですごい設定だこの漫画。意味がわかった気がする。
西洋のキリスト教の文化に、日本のいい意味でのおおらかさが押し流されてしまったのは、ある意味失敗だったんだろうなあ。
新宿の、ゲイの店と女装系の店との住み分けみたいのも、はっとさせられました。だって私、新宿って行ったらフラシャだしw でもそう言えば、あの通りでニューハーフの店の看板見たなw そうか、そういうことなのか……(すんませんひとりで納得モードしてます)。
で、そのお店で拾われた中にヒントのようなものはあったのだなw
ニューハーフが接客するお店に来るお客さんのタイプには、とにかく女っぽくすればするほど喜ぶタイプと、女の子の服装したひととマニアックな話ができるのが楽しいタイプがいるようで。
ということは。
前者のタイプには明らかに売り値つかないんですよね私って(ひどい言い方ですがわかりやすく書きました)。
某所での二者択一バトンのエントリにコメントをいただいて気づいたのですが、「見られる側」としての意識も見事に欠けてるし(まあ、このバトンに解答した人間って、ほとんどが、「見る側」として回答してるんだけどw みたのは90%女性の回答だったですが)。
そういうのを身につけようとすることに抵抗があったのか、「これをしたらみっともないと思われるからやらない」というブレーキ機能がいまひとつ働いていないタイプだからなのか、理由はつかみにくいですけどね。
まあ、今日ではニューハーフさんがいる以外にも夜お酒飲みに行く店にしかなさそうだとも聞くジェンダー記号ですが。
「ジェンダーはパフォーマンスで繰り返し模倣されることで成り立つ規範」とは某はてな友達の意見。さすがだぜw
私、自分が男っぽいとは思ってないんですよ(そんなこと言ったら失礼ちゃうかという人いっぱいいるし)。どっちに帰属意識があるかといったら女性なんですが、女性の多数派にあてはまってないところもあるんですな。
「女らしくない」からといって即「男っぽい」とか「そういうことを言うんなら結婚したいとか言うな」というのも納得が行かない最近なわけです。
上記した「これをやったらみっともない」と思う感覚が希薄だし。
「過去の恋愛を上書きしないで1個1個脳内フォルダに保存しとく」。
「ふたつのことを同時進行するのはさほど得意でない」。
プラス、以下は、あるひとがまとめてたことと、そこから派生した話。
「カラダや戸籍の性別の通りに生きたくないひとに対して、それらを知った上で対応する」という*2のが、割と男性に多いタイプなんだそうですが、私自身もそうしたいのに真相がわからなくて困ったことがある(出来てるかは謎。実はもっとぶっちゃけると、それによって迷惑をかけたひともいたし*3。更に言えばこの件は、個人対個人ではハッキリ解決された記憶がない。いつの間にか、相手と初めて声で会話した際の感覚に頼っていた部分も大きかったりする)。
男性に対する帰属意識はないが、「女らしさ」を引き受けて生きていくには明らかに足りてないんですよ。
でも、発想・思考や読書などの傾向とかの嗜好は、女性のもののようですね。
「あんたは文章で性別を偽れない」ということと、「男性向け18禁ジャンルに手を出すのはやめておけ」という2点を私にハッキリ言ったひともいる。
あと、自分がこうなるに至った要因としては、再三書いている身長の高さも大きいんだろうなあ。アバウト174センチ。最大75まで行ったことがある、この上背のデカさ。
P.301の「性別越境者が気にしやすい点」が、私の場合身長なのかな、と思ったりも、今回しました。私と面識のあるひとで、男性だと私くらいか私より大きいひと、女性だと165以上あるひと。その他ネットやみくしのプロフで「長身」を表明しているひとは、ほとんどの方が、私に具体的な身長の数値を聞かれたことがあるのではないでしょうか。
中学時代、技能教科もさほど良くなかったんですが、そのあたりも「なんか自分って中途半端だな」と思うようになっていったわけですわ。この上背で運動で着たりかっこいい雰囲気だったら女の子にモテる、というのは漫画では定番でしょ? でも、あとから気がついたことですが顔の方も女の子ウケするか怪しいカオだしさ*4。
ここからは、身長に関する愚痴が多くなってしまったので、1回切りました。まだ長文続きますが、お付き合いいただけたらと思います。
〜〜身長に関する愚痴
1980年代って、甘めの可愛い系の顔で高身長、という女性タレントっていなかったんじゃないかな、と最近述懐するようになったんですよ。
さほどおしゃれに興味の濃い子どもじゃなかったから気づかなかったのですが、興味津々だった場合、お手本がいなくて困ったんではないかな、と仮想過去を想像してみたんですわw
高校3年生くらいになると、浅野ゆう子がこんなん着てたかな、ということでアースカラーのロングフレアスカート履いたりとか、この頃今井美樹でソバージュが流行ってたから*5、卒業して即飛びついたけど、この2人って当時20代後半から30歳くらいだったでしょ。今思うと、高身長女が市民権を得たのって本当に最近なんだな、と思いますね。
最近だっけか、森尾由美が、166センチだったけど「162センチ」と鯖読まされてたって言ってたの。やっぱりそういうのあったんだね、って思わされる出来事だよなこれ。
だから、「図書館戦争」という本を読んでも、読むきっかけをつくったひとたちと違う視点がかなり入ったし。少なくとも萌え転がる読み方じゃなかったな(苦笑)。読むきっかけをつくったひとたちみんな、私や主人公郁ちゃんと違って、そういう悩みには該当しなかったひとたちだったからね(ひとりなんか、身長ではまったくコンプレックスなさそうだったもの。何も苦労してないひとじゃないけどね)。
私の場合この身長は遺伝によるものなので(父方の家系に、時代の平均より身長高いのが多かった)、170超えるのがひとりくらいいてもおかしくないのですが、だからってなんでそれが私なんだ、という気持ちにもさんざんなりましたしね。
昔恋人を他の女の子にとられるのなんのという騒ぎになった際にも、早い段階で恋敵が身長何センチか聞いた、というのが、ある意味究極の事例かもしれませんがwww
で、この身長の問題も、ジェンダー問題や、多数派少数派とリンクしている問題のような気がします。
このページの質問にも、18番は「身長だけNO」って回答になるしね。
(13番の「声」は少し低くしたいが。幼い印象を与えやすいらしいというのと、あと浜田省吾をカラオケで歌うのに不満なのでw 後者はこんな理由で気を悪くしたひといたらごめん)
それでだ、ひとが自分の持ってるものや持ち味を、長所として延ばそうと思うか、短所ととらえて生きること自体萎縮してしまうかって、時代や周囲の人たちの価値観が大きいんだな、って気づかされる出来事でした。
これにジェンダーという「先入観」というものも大きいんじゃないと思うんですよ。
不満に思うひとにとって良いと思う対応が出来てるかわからない。だけど、ひとの良いところはまっすぐに評価できる自分であれたら良いな、と思っています。
長文お付き合いありがとうございました。