「ざれごと寝言大事なこと」日記#6

西山香葉子という同人者の本性がわかる? ぺーじです。

創作の際に・2

吉田秋生先生が昔インタビューで「女の子描くのってつまんない」という発言をして、憤っていた人がいるらしいと言うことを最近知ったんだけど、どうもこれって言葉どおり捉えてはいけないのではないかと思うのですよ。

「夢見る頃を過ぎても」「河よりも長くゆるやかに」「櫻の園」「ラヴァーズ・キス」なんかを読んでいると、そう思う。
「河よりも」は主人公は男の子だけど、男の子の恋愛と性の話だ。ここで、作者は女の子キャラクターに「人間の重みが気持ちいいから男とセックスする」という類の台詞を言わせている。これを荷宮和子さんの本で読んで、あたしはこの漫画と吉田秋生のこの手の作品を買って読んだのだ。で、「BANANA FISH」の後で連載された「ラヴァーズ・キス」も(当時、イベントで本を買っていたサークルさんと「これいいよね」と話したのを覚えている。でもこれ、男の人にはついていけないだろうな)。
いわゆる恋が成就して終わり、という話は、この人の話にはひとつもない筈だ。
この人の作品には「女の子が女の子である痛み」(と、女の子であることへのルサンチマン)が常に横たわっている気がする。つまりこの人はそういう形でなけりゃ女の子は描けないんじゃないかと思ったあたしは。「ラヴァーズ・キス」だって、最初のヒロインは性的虐待を受けたサバイバーだというウラがあるからね。

そういう痛さが伴うんじゃ、そりゃ確かにつまんないかもしれない。
それを「幅の狭さ」として、一刀両断するのはたやすいことだけど、吉田秋生を大御所たらしめているのは、そういう作品がちゃんと女の子に受けているってことでしょ。
吉田秋生の後継者みたいな存在がどうも榎本ナリコじゃねえかと思うのは……早合点かな? わし、「センチメントの季節」って、雑誌掲載時に数話読んだだけなんだけど。「あー、どうせ今回はこいつとこいつがセックスするんだろ?」という気分になって読まなくなったけど、ちょっと読んでみようかな。

だから「女の子を描(書)くのが上手い」ってのは、絵が上手いか、心理的精神的に上手いか、後者ならどの部分が上手いか、と分けて考えなきゃいけない。
淡い恋心を描くのが上手いか、ルサンチマン含めた女の子である痛さが上手いか、綿矢りさが「蹴りたい背中」で表現したようなものや、「ホットロード」で描かれたような部分が上手いか。他にもあるかな。

ちなみに、21世紀近くまで、ジャンプ含めた少年漫画には、心理的精神的に女の子が描ける漫画家はいなかったような気がする(断定する前に、北沢拓さんの「たとえばこんなラブ・ソング」を読むべきかと思っている→ぱふの少年漫画特集か恋愛漫画特集でのインタビューを読んだことを思い出したのだ)。で、登場したのが、和月伸宏尾田栄一郎と、河下水希(この字でいいんだっけ?)だったと。るろ剣もワンピも、女の子が生きているし、いちごはハーレムものとは思えない評価を獲得しているはずだから。

難しいことを書いてしまいました。わたしも、上で書いたどれかひとつ(後者ふたつがいいけどね)が得意になれればいいけど、「痛せつない」話が書けないんだよなー。あーあ。修行しなおそう。
なんかえらそーなこと書いてるし(評論書く人間はみんなエラそうだ、という大輔君の過去の言葉が救い)。

少女マンガの愛のゆくえ (光栄カルト倶楽部)

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