「ざれごと寝言大事なこと」日記#6

西山香葉子という同人者の本性がわかる? ぺーじです。

ニシヤマカヨコ爆弾少女漫画語り

とうとうこれをあげる時が来たか……。
手を出さないと言っていたことのある領域。
嘘吐き呼ばわりされるかもしれない。
でも、材料がずいぶん揃ってしまったので。
行きます。
すごく長いです。編集にもけっこう時間かかってます。
今は実は、12月28日未明です。今日午前10時から冬コミですね。参加される方はされてから読む方が良いかと思います。頑張ってきてください。



なにから書き始めるか、すごく迷った。
「異変」と言ったらおかしいか。
「時代の変化」というのは、いちばん早いと、1986年から88年になかよしで連載されてた「なな色マジック」まで遡れそうな気がするんだが。

〜〜最初に思ったこと。

 それは、1991年1月。
 JUN SKY WALKER(S)が、「START」という曲をシングルでリリースした。
 これのカップリングナンバーは、「おまえとケーキ」というタイトルの、ドラマーの小林氏の高校時代の実話の恋愛が元ネタになっている、と聞いたことのある曲である。
 私は、あまりにこの曲の歌詞が可愛くて、こんな世界が書きたいと思って、お話を考えついた。その小説自体を入力して今回掲載した方が良いのだが、現物が意外と残ってなかったので勘弁して欲しい。

さて、この話を考えついた時、私は思った。

「話も出来ない遠いヒトを好きになるなんて、男の子側からしか書けなくなっちゃったなあ」と。

「それまで話も出来ないくらい遠い存在だった好きなひとと恋がまとまってハッピーエンド」というのが、少女漫画のかつての王道だったはずである。
 王道という言葉があるくらいだから、そうでない場合もある。そういうのに抵抗を感じている書き手もいるし読み手もいる。極端なケースだと女性を描くのがどうしても嫌で、自分が女性であることにもやや抵抗があって、ボーイズラブしか描けないタイプのひともいるし、女の子が女の子であることを肯定するには社会が不平等だということを意識した結果、作風の片方が出来上がってしまった吉田秋生のようなケースだってあった(もうちょっとこういうタイプの作家の数が増えて欲しいんですが)。

 最初にあげた「なな色マジック」は、スペックで言えばヒロインの菜々子の方が高い。コンプレックスの原因になっている双子の姉よりも、最終的に恋人になる一樹よりも。彼女はなんでもできるけど、素直に見える姉の方が、周囲のオトナや男の子のウケが良くてアイドルにまでなっているから、ひねくれ者している。その後いろいろなひととの出会いで彼女が素直になっていくお話とも言えるのだが。
 一樹はなんでも持ってるわけではない。
 そして、最初は憧れのひとがいたけど(ここを深入りするとネタバレになるので避けるが)、だんだんそばにいた仲良しの一樹に気持ちが移っていって、出会いの翌年の夏休みには恋を告白している。

まあ、憧れのヒトと口ゲンカの絶えない友達、という構造が出てきた最初だったんだと思う。
 1991年、私は、少女漫画の女主人公の恋はそれまでのパタ−ンから変わる、とぼんやりでも考えていたようだ。

〜〜ちょっと時間が飛びます。

話は少し飛んで、1996年。
当時愛読していたぱふの、毎年恒例「ベストテン号」。
解説するが、これはその年発表された漫画に関して読者アンケートをして人気投票をやると言うものである。結果が掲載される該当翌年の4月号には、少女漫画や少年・青年誌のその年の動向などのコラムも掲載される。
この1996年4月号の少女漫画総括のコラムには、以下のような文面が載っていた。

『りぼん』も「正統派少女まんが路線・幼年誌バージョン」をキープ。椎名あゆみ吉住渉の安定したおもしろさで「初めてまんがを読む少女たち」に正統派の種を植えていっていただきたい…(マジに。やおい好きの小学生ってコワイので…

 オチのようなカッコ書きの部分まで読むと、そのような視点から見たら、ここで名前の挙がったふたりも「正統派」なのだろうという解釈が出来るのは今日だからで、当時私と弟は、この文面を読んで違和感を感じていた。
「そういうのに向いているのは水沢めぐみだろう。このふたりじゃないだろう」という感想を持っていた。
 理論的な意見ではないが代替案は出せている(笑)。

 しかし、この頃のぱふの編集者が、このふたりを挙げた理由もわかってくる。
 結果的に、この先の時代、比較的直近までりぼん本誌に連載を持っていたふたりとなった。
 作風を言えば、吉住渉は、時々高校生でもわかりにくい小ネタが挟まっていたり、脇キャラクターの視点をないがしろにしない特徴がある*1椎名あゆみは、今月23日付のエントリでも述べたが、少年漫画にも通じそうな独特の熱さを持っている。
 最近私は、このふたりの読者とインターネットを通して知り合うことがけっこうあるが、吉住の読者は、その理屈っぽさのせいか男性の方が多かった*2。椎名の方の読者は、白泉社の漫画もよく読んでいる傾向があった*3
 この時点では、私も含めて読者サイドで誰も気付いた者はいないようなのだが、彼女たちの作品はりぼんの中で、既にカウンターではなかった。売り上げという意味だけでなく。
 小花美穂藤井みほな高須賀由枝といった、70年代前半生まれの面々が、この時期以降ヒット作を出していくが、パワフルさや強さ、あけすけ感、ダークさや重さなどが特徴といった具合に、70年代や80年代と既に雰囲気は違うのだ。
 売り上げが良かったせいで気付かないでいたのは間抜けであろう。

〜〜女性の性愛観今昔と周辺メディア(携帯電話で読むものなど)

 そして、この90年代前半のあたりからその後にかけては、ご存知の方も多いだろうが、「平均的な10代少女の恋愛・性愛観」というものが、とんでもなく速いスピードで「大人の女性と同じ」になっていった時代である*4。80年代初頭あたりまでの、「婚前交渉」なんて言葉が存在していた頃の20代女性よりは、今の少女たちの方がサバけていることは想像できる。それが加速して、ある程度の年齢になったら処女でいるのは恥ずかしいという発想だって存在する。たとえば、映画「昼下がりの情事」でのオードリー・ヘプバーンのように、そのような現場で「慣れてるふり」をしてしまう女の子の方が、今日では多いと私は思う。それもこの「恥ずかしい」という発想から来ていると考えられる。
 なお、この文面の構想を練っている間に、90年代から21世紀にかけて活躍した元タレント・飯島愛が亡くなったが、私は、年齢の近い彼女を「いち早く出てきたコギャル」と思っていたところがあった*5


 性愛に関してタブーが薄い分「刺激に飢えている」のか、今いちばん10代少女に読まれていると言われる「ケータイ小説」は、大袈裟で簡単に盛り上げられそうなファクターがてんこ盛りだ。簡単ではないのだが。
 ところで私は、去年りぼんで短期連載されていた、えばんふみの「木々のゆくえ」という漫画を、親友の、小学3年生の長女に友を通して読んでもらった。「恋空みたいで面白かった」と彼女は言ったらしい。
 えばんふみの作品については、「ケータイ小説をりぼん用に描き換えている」と言った者がいるのだが、彼女のこの発言により、それは間違いでないと思うことにした。


 さて、今年話題になったケータイ小説に「あたし彼女」というタイトルがあって、8ページほど読んでみたことがある。
「携帯で読みやすいように改行してあるのね」というのが第一印象。
 次に思ったのは「花井愛子がティーンズハートで書いてた小説みたい」である(苦笑)。
 ティーンズハートで執筆をする際に花井が当て込んだ読者層というのは、「今までマトモに活字の本を読んだことがない、でも少女漫画は好きな15歳中3少女」だったそうだが、前半は、今日ケータイ小説を読んでいる層にもあてはまるのではないだろうか、と思っている*6

 ティーンズハートも、斜陽期に入った頃からは、「数が多い読者の最高年齢が小学6年生」という、今のりぼんと代わらないのではないか、という状況にあった*7と聞いたことがあるので、今回の文面にとってなにか参考にならないかと、花井が近年著わした「ときめきイチゴ時代」という本を読み返してみたが、表紙イラストの選別などに気をつかった等の、「広告畑の出身者」ならではな「商品」という視点があまりにも濃くて、引きそうになっただけだった節もある*8


 生まれた時既に、10代少女と大人の女性の性愛観にあまり差がなかった*9、という世代とは、今これを書いている私だけでなく、今日大人になっている多くの「現旧双方の少女漫画読者」は、どう接して良いかわからないところがあるのではないか。
 そしてこの「わからなさ」は編集部も持っていて、それが、りぼんの部数低迷の原因のひとつになっているのではなかろうか。
もっとはっきり言えば時代の流れから「ズレていった」のだけど。
 私は、「あたし彼女」を試し読みした時点で、今の時代に「少女向けにフィクションをつくって売り上げを出さなくてはいけない」者たちに、ハッキリ言って同情を覚えた*10
 未成年と大人と、性愛に対する感覚が、ひとくくりに出来ない(純粋に個人の感覚の差だ)というのは、なにを見せたらドキドキするか・いけないことだけどちょっと大人の世界を覗き見、に類するのかがはっきりしないことになる。性的表現がエスカレートしていった少女向け媒体はそのコードを緩く設定しただけなのだろう(まあ、いつの世も好奇心旺盛なタイプはいて、そういった層が読む雑誌が国会で槍玉にあがる、なんて話も既に80年代前半にあったと聞くが)。

 携帯電話の話が出たので、ここで、ケータイコミックについても少し触れておく。
 私には、mixiにおける「マイミクシィ」の中に、ケータイコミックでティーンズラブ作品を発表している人物がひとりいる。話の展開が可愛くて好みだったのでマイミク依頼をして受けていただいたのだが、先日携帯電話の機種変更をして読めるようになったのを機に、発表された漫画を読んでみた。
 話が、セックスがあるけど本当に少女漫画なので、ヒロインの心臓の鼓動が文字で描いてある。
 それが画面に上がると同時に、携帯電話が振動する仕掛けになっているのだ!
 これは紙の漫画にはできない。すごく有利だよ。
 これに勝とうとするなら紙の漫画はなにをすれば良いんだ、という簡単には解けない疑問が浮かんでしまう。
 既に大変な時代が来ているのだ。

〜〜遅いかもしれないが

 私は、遅すぎたかもしれないが、りぼん10月号の巻末における種村有菜の言葉に、りぼんの本物の危機を感じた*11
 これは、この文章を本気で書こうと思った一因である。

 でもって、この発言は、現在のりぼんの何人かの作家がすごい量の原稿を描いていることの証明でもあろう。
 
 季節ごとに発売されているという印象のりぼんの増刊号だが、こちらに、ほとんど毎回必ずと言っていいほど、現在連載中のエース級の作家がひとりは、読みきりや番外編を描いているのは、私が読んでいた時代からすると嘘のような話である。最新号だと酒井まゆだろうか(酒井は、最新単行本が、長期連載の最終巻だったからか、その単行本にものすごい量の描き下ろしをしていたらしい。前作の最終回の翌月に新作「MOMO」を始めたにもかかわらず!)。槙ようこなど、そうやって描きたまった短編集が出ていた気がする。持田あきも、増刊の広告でよく見かける名前のような気がする。
 なんだか本当に大変だというのは感じられる。槙ようこは、一時期毎号を増ページで連載していたらしいし、上記のように読み切りもけっこう描いていたようだし、長期休載の原因は腱鞘炎だったのではないかと思っていたりするのだが、どうか。

〜〜私の漫画歴をざざっと

 ここでひとつ付け加えておくが、私は、長くなってきた人生の中で、いわゆる「りなちゃ」3誌のどれかひとつだけを買って読んでいた時期というのが皆無な人間である。3つの中で最も親しみがあるのはもちろんりぼんだが、「りぼんっ子」を自称した経験もない。りぼんだけを買っていた時期がないことの他に、りぼんの一番の看板作品に対する思い入れが極端に薄いのも理由だが(80年代半ばにりぼんを読んでいたのに、「ときめきトゥナイト」「有閑倶楽部」と、水沢めぐみの単行本を購入したことが中古を含めても一切ないのだ)。
具体的に明記すると、なかよしは、小学生時代はコロコロコミックと。中学時代はりぼん・別マに、弟が買ってたジャンプも合わせて読んでた。これがトータルすると2年弱くらい。で、りぼんは、大人になってからは花とゆめやLaLaと併読。ちゃおは昨年仕事で読むまで読んだ記憶がない(「水色時代」くらいは知ってた)。
小学館で一番馴染んでいたのは、実は今の「BETSUCOMI」だった。小学館で単行本を買ったことがある作家を反芻してみたら、ひとりを除いて別コミで連載経験のあるひとばかりなのである。


〜〜今のりぼんと……

 最近りぼんを読み始めた読者の中には、「今のりぼんが好き」と言う者もいる。
 そういう読者は大事にした方が良い。
 りぼんは、新たなフォーマットを見つけかけているのかもしれないから。
 恋愛の話はまだ早いという側面もあるだろう。
 個人的なことを少し書くと、集英社の少女漫画の恋愛偏重と言えかねないかつての編集方針は、花とゆめ他の漫画を知る前の私に、「女主人公が恋をしなくてはいけない」という、お話をつくる上での枠を植えつけていた部分もある。
 私の高校時代はティーンズハートに代表される「即席カンタン少女小説」の全盛期でもあり、そちらでも、淡くて可愛くてプラトニックな恋愛が売れていたから。これは、「耳をすませば」が当時のりぼん読者に引かれたのにも通じるところはあるだろう。時代が近いし。
耳をすませば」が登場した約半年後には、若木未生が「天使はうまく踊れない」で、三人称の文体を使うなどの当時には珍しいことをやって、コバルトからデビューするのだが*12。コバルトにとっての時代の転換点はここで、これがなかったら今頃コバルトは潰れていたんではないかとこれを書きながら思ったのだが(苦笑)。


「自分から働きかけて何かをする」ということを柱にした作品が増えている、ととらえて良いだろうか*13
 現在りぼんで連載されている「巻き込まれ型ストーリー」で一番大反響を獲得しているのは、「MOMO」だろうか。こちらは、連載開始以来本当に大反響で(「大人気」と表記しているケースが多いようだが、私はまだこの表記に違和感があるので)、コアな漫画好きがかなり注目している節も感じる。こういう、コアな漫画好きにも受ける、本当に面白い作品を入れて、小さな女の子たちにりぼんという雑誌の存在を教えていくということも大事だと考えよう。
 先日のよしながふみのケースといい、私が別冊マーガレットを知ったケースといい(おかげでりぼんを知るのはかなり遅れたが)、近くにいる大人の存在が新たな道を切り開くことがあるのだから。今日子供が近くにいないひとも多いのはネックかもしれないけど(近くではないが、前述の親友の長女は、上手く導きつつ、現代女児事情もつかんでいけたら良いと思う)。


 漫画を長年読んでいれば、自分がどういう作品を面白いと感じるかもつかめているかと思う。
 いいところを見つけられずに文句を言いながらしがみつくより、もういらない、と「古い上着」をすっぱり脱ぎ捨てる方が健全だ。要は、「自分がりぼんに合わなくなった」ことを認めた方が良いタイプの読者がいるみたい*14
 人は成長する部分もあればしない部分もあるし、人格の中の核の部分というのはあるのだから、そこを曲げてまでひとつの雑誌にしがみつくこともないと考えられる。
 時代が変われば、雑誌に載っている作品の雰囲気も違う。雰囲気が変われば、合わないと感じて卒業していく者も出る。LaLaなど、そうやって卒業していった者が多かっただろう*15
 漫画を読むということは、文句があるなら切り捨てても良いはずのものだ。生活に不必要だって思ってるひとだっているのだから。
 
 あと、作家には、好きだと思うものの他に、内側から出てくるものしか描けないという場合だってある*16
 王道に対するものだってあって良いはずだ。
 誰でも彼でも王道ばかりだったら「王道」という言葉の意味はなくなってしまう気がするのだが。ひとつのパターンしかなくなってしまうようで気味が悪い。
 いろいろな感性があってこその少女漫画であるはずだ。


 白泉社のサイトには、携帯電話で書き込める、読者が「この作品が好き!」と叫ぶコーナーがある。ここでの意見を、読者の声として参考に出来るのだが(「ヴァンパイア騎士」って現役読者に受けてるなあ、などの判断材料に出来るのだ)、読者の年齢層を考えるとりぼんに応用するのは難しそうだなあ……。どこかの知事が小中学生から携帯電話を取り上げようとしている御時勢だし。



 長い文面で疲れさせたことは申し訳ない。
 あまり手をつけてはいけない分野だったろうと思っているが、一度書いておきたかったことだった。
 今後やる機会がナイことを祈る。
 もう少し整理できれば良かったとも思う。基本的には、私が見てきたこと経験したことを書いているのだが。
 なにか他に書くことがあるような気もするが、時間が遅いのでこの辺で。

*1:後者は彼女独特のものかもしれない

*2:私の弟もお気に入りだが

*3:田中メカとけっこうかぶっている。あと、「キラメキ☆銀河町商店街」を気に入っていたり、こちらの作者のふじもとゆうきと近い部分を指摘した者もいた

*4:どういう発想かを簡単に言うと、「好きなひとと寝るのは好きなこと」というのがメインストリーム

*5:彼女の冥福をお祈りします

*6:今日少女漫画を読む者は、ある程度活字の本も読む傾向があるようだから

*7:他にもアイドルで、ピンクレディーモーニング娘。のように子供に媚び過ぎてそれまでの勢いが止まった例は数ある、という印象が私にはある

*8:もっとも、私は、花井が神戸あやか名義で書いていた本はかなり買って読んでいて、1988年春に彼女があとがきで始めた年齢宛てクイズに、「29歳」と答えて応募して、前後賞に入った上に、賞品のテレフォンカードをもらった経験者だが。花井本人は実は、このクイズの正解発表時を、自分が他にペンネームを二つ使用して執筆していることをカムアウトする機会として設けたようだったが。このカムアウトは、高校生だった私もかなりショックを受けた記憶はある

*9:これは、SPEEDの曲の歌詞を読むとけっこう納得できるだろうか

*10:お前の小説は今後どうする気なんだ。とは、言われもしないと思うが書くと、小学生以下が読んだら親が複雑な顔をしそうな話を書いていきたい、と昔から思っていたので。自分が小さい子供に受ける話を書けるとは、一切思ったことがないとここで書いておく

*11:当ブログ2008年9月29日付けに転載した

*12:三人称というのは、白泉社的な「視点の多様性」も取り入れられる書き方ではある。一人称だとお話世界で書けない限界が出てくることがあるので

*13:前にも書いたが「株式会社ラブコットン」には驚いた

*14:「気合を入れて読まないと読めない」という意見も聞いたことがあるし→これには私も同感だった

*15:読者の一派であった、今で言うところの「腐女子」タイプにとってボーイズラブ専門誌が出来たのは大きかったろう。そこで、白泉社読者に多いもう一方のタイプである、「BLは苦手だけどよその漫画では食い足りなくなったタイプ」の読者に専念できたのが、今日、落ちてきたりぼんを部数で追い抜いている原因と言えそうだ。白泉社の漫画というのは基本的に週刊少年ジャンプを読んでいる女子中高生がメインターゲットだが、腐女子タイプもいればそうでないタイプだって当然いるのである。腐女子タイプだって、今日では男同士の話に拘っていない者もいるし

*16:好きだけど描けないタイプの話だってある