「ざれごと寝言大事なこと」日記#6

西山香葉子という同人者の本性がわかる? ぺーじです。

「未来に丸投げ」

最近の自分のスタンスを表現している言葉だなー、と思ってますこの言葉。これに関してこの頃起きた? 話を書いておこう。20日の本のエントリ書いててこの言葉がけっこう出てきたので、あっちからリンク貼るために転載。

実際は、何度かエッセイを載せてもらってるサイトに投稿したものなんだけど、面倒なことにならなければ良いが。


世の中には、人付き合いをしていると、時々「あれ?」と思うことがあるわけで。
「これはどういうことだろう」とか、「なんでこうなんだろう?」と思ったり、漠然と不思議だなー、と思っていることや、「これはなにか変だ」と思っていることがある(漠然と思っていることはけっこう忘れていてふとしたきっかけで思い出したりするけれど)。
これについてもっと知りたいなー、と思うこともあったりするし。
だけど、最近は「いつか話してくれるさ」と思って「未来に丸投げ」するようにしていたりする最近のワタシ。
この「未来に丸投げ」という言葉は、昨日知人と電話していて思いつきで言ったら大絶賛を受けた。

その謎はひょっとしたら、そのひとのどうしても明かしたくない秘密だったりする。
心の傷だったりもする。
「それを打ち明けてしまったら人間関係が終わってしまう」と怯えている原因になっていることもあるだろう。

それは、そのひとがまだ自分に対して心を開いていないことなんだな、ということで正しい気はする。
だったら、話してくれるまであせらずに待ってみよう。

話してくれないうちにそのひととの関係がなくなってしまったら、それまでのことさ。

打ち明けられてみたら、謎が解けてなんだ、と思うヤツもいる。

話すも話さないもひとそれぞれ。

同じ話を聞いても読んでも、どう受け取るかはそのひと次第。

ついでに、自分のことでもわからないことがある場合もあるけど……これはすごく悩むよね。でもこれも、いつか、きちんとした情報や判明する機会があるから、「未来に丸投げ」してもいいんじゃないかな?






というもの。

ところが、前半の、知人と電話をしたあくる夜、その「漠然と謎だった」とあることが突然判明してしまったのだ。いや、謎だと思ってたことも忘れてたことが(だからこの知人との会話で引き合いに出したことではない)。
判明してしまえばなんてことはないのだが、そうなります? とちょいとびっくりであった。

なんだか今日も浮き沈みが激しかった(こんな時にカウンセリングというのはよいタイミングであるが、言うことがすごく散漫で伝わりにくくなっていた)。
Tシャツにデニムのスリット入りの長めのスカートを履いていたが、母曰く、スリットのあたりが膝まで上がってスカートの中身が見えるらしいけど、「そんなもん気にしてられるほど若くもカマトトでもねえ」と言ってやろうかと思ったけど、後が面倒くさそうなのでやめておいた。これは尋常でないと思うか、またまた「頭おかしいんじゃないの」と言われて余計に嫌な気分になるか(多分後者になっていたことであろう)。

上の文には書き忘れていたけど、「自分の気持ちの中にも、明文化できなかったりするもやもやとか違和感とかがあるけれどもそれも時がたったら見えて明文化できるようになるから、ものごと、答えが出ないものを焦って出そうとせずに『未来に丸投げ』しても良いのではないのかな?」というのにも今日気がついた。これもなにか焦っていたのかもしれない。