「ざれごと寝言大事なこと」日記#6

西山香葉子という同人者の本性がわかる? ぺーじです。

そういえば去年の春、阪神大震災と、とある絵を絡めて2000字強のストーリーを書いてくださいというテストがあった。落ちたけど。

そのときの没原稿をアップします。
ライフラインに関してとか、電車が動いてたかとか、どの程度調べられたか怪しい今思えば。数日で引っ込めるかも。
ちなみに、話の流れという原案は、そのテストの課題を出したクライアントです。普段書かないタイプの話になったかと。
ささいな、ちょっと気になった部分は直しました。途中出てくる腕時計は、実際にわたしが昔(この時代よりも少し後かも)使ってたヤツです。


以下閉じます(実はこれらの作業は2008年1月20日午前1時台にやってます。間抜け)。


「お前一人で行ってらっしゃい。おばあちゃんのお墓参りもするんだぞ」
「はーい」
「じゃ、そろそろ寝るね。明日も早いから」
「おやすみなさい」
 両親の声を背中に聞きながら、美沙は自分の寝室に消えた。
 
 今は1995年1月13日の夜である。
 美沙たちは現在、一家3人で兵庫県神戸市須磨区に住んでいるが、去年の春まで東京に住んでいた。
 美沙は一年浪人して今大学1年生。浪人したおかげで、もともと神戸の大学に進学を希望していたが、希望通りに進学しても両親と一緒に住めるのである。父親が昨年春、神戸の支社に転勤になったからだ。
 おばあちゃんは、転勤の前年・1993年の初夏に79歳で亡くなっていた。
 おばあちゃんと4人で暮らした東京都三鷹市の家は今、父親の弟一家が暮らしている。住民票もそっちにあるので、美沙は、来たる15日の成人式には帰郷しなくてはならなかった。
 それで「一人で行っておいで」と言われたのである。

 その夜、美沙は夢を見た。

「うわあ……」
 おばあちゃんの四十九日が過ぎた1993年の梅雨の頃、一枚の細密な肖像画が出来上がってきた。 
 福々しい、穏やかな表情が、生前のおばあちゃんをそのまま写し取ったみたいだった。
「すごいね、これ描いた人。おばあちゃんまるでそこにいるみたい……」
「頼んで描かせてたんだよ。元気になったらおばあちゃんに見せようと思ってたんだが、残念だなあ」
「うん……」
 美沙の瞳に涙が浮かんだ。
「ああもう、美沙ちゃんてば泣き虫でおばあちゃん子なんだから……タオルとってくるわね……」
 専業主婦である母が、パタパタと、絵が飾られている居間を駆け出していく。

「あの時の夢か……」
 目覚めた美沙は、ベッドの上でひとりつぶやいて、腕時計のボタンを押した。ボタンを押すと今何時か音で教えてくれるので、こういう暗闇では重宝している。
「2時35分か。寝よ……」
 美沙は再び横になった。

「美沙かい? 成人式なんだって? おめでとう」
 目の前におばあちゃんの例の肖像画
 絵がしゃべってる!?
「おばあちゃん!?」
「15日、成人式でしょう? おばあちゃんにもひと目、美沙が振袖を着て家族みんなでいるところを見せてもらえんかねえ……?」
 おばあちゃんは、言いたいことを言うと、すうっと口を閉じてもとの微笑みに戻ってしまった。。

「という夢を見たの」
 一家そろった朝食の席、美沙は言った。
「本当?」
 母は半信半疑だが。
 父は言った。
「そういえば俺の夢にもおばあちゃんが出てきたなあ」
「ホント?」
「ああ」
「これって、一家そろって東京に来いってことなんだよ! 行こう! みんなで!」
 と言って、15日の朝一番の新幹線で3人で東京に行くことになってしまった。
 14日は土曜日だったが、父が出勤しなければならず、その振り替え休みが17日にもらえたので、連休特有のラッシュに巻き込まれなくても安い自由席に乗ることが出来た。

 かつて地元と呼んでいた街の公会堂で、美沙は旧友と出会い、振袖で写真を撮った。その足で八王子のおばあちゃんのお墓にも出向いた。
「おばあちゃん、わたしだよ。おとなになったよ……」

 翌日、叔父(父の弟)一家と食事をした。
 叔母が「美沙ちゃんすっかりきれいになって……」
 と言った。

 17日。
 朝、ホテルでテレビをつけたら、たった一つのニュースを繰り返し流していた。
「神戸崩壊」。

 かの、今日では「阪神淡路大震災」と呼び、語り継がれている地震が起こったのだ。

 父は持っていた携帯電話を使って、会社の同僚と連絡を取ろうとするが、電話は使えない。
 美沙も、学校はどうするか。
 家族3人とも、友人たちの安否確認をしようと必死だった。
 テレビから入ってくる情報によると、死者の数はどんどん膨れ上がっている。
 
 三宮センター街のアーケードは崩れ落ち、面影はまったくない。多くのビルは無残にも瓦礫の山と化した。根元から折れるように倒れた阪神高速道路の高架橋……。
 テレビに映し出されたのは、こんな光景。
 引っ越して9ヶ月。見慣れてきていた神戸の街は、見るも無残だった。

 銀行で、すべての現金を引き出してきて、その日の夕食。
 かつて住んでいた、今は叔父の家に、3人はいた。
 そのまま電車が復旧する4月上旬まで彼らの世話になることになる。
 家中から椅子を出してきての席上、美沙はこんな発言をした。
「おばあちゃんがあたしたちを助けてくれたんだよ!」
「へ?」
「ほら、東京に来る前に、あたしおばあちゃんに『美沙が振袖を着て家族みんなでいるところを見せておくれ』って言われたって言ったじゃん。
 でおばあちゃんは今日、関西に大きな地震が来るって知ってたんだよ! だから地震からあたしたちを助けてくれたんだよ」
「なるほどねえ……」
 母と叔母さんは、娘(姪)のあまりに荒唐無稽な言い草に首を傾げつつ、そう返すしかなかった。

 そして、JRが完全復旧した4月始め。一家は須磨区の自宅の前に立った。
 自宅は全壊していて、目も当てられなかった。
 自宅に入ってみる。
「うわっ、こりゃ靴履いた方がいいよ!」
 居間には相変わらず、あのおばあちゃんの肖像画が飾ってあった。
 おばあちゃんの肖像画のガラスは砂時計の砂のように細かく砕けていた。
「すごかったんだね……生きてられて良かった……」
 美沙はつぶやいた後、肖像画を改めてよく見てみた。
 しかし、肖像画自体には、傷ひとつ無くおばあちゃんは家族に微笑んでいる。

「おばあちゃん、やっぱりあたしたちを守ってくれたんだね……。
 ありがとう……」

 美沙は涙をぽろぽろ流していた。