「ざれごと寝言大事なこと」日記#6

西山香葉子という同人者の本性がわかる? ぺーじです。

大事なことを忘れていたのではないかと思えた話

毎度おなじみ、集英社少女漫画アーカイブから。
26日木曜日更新分は、矢沢あいご近所物語」の2回目でした。
コレだけ2週とるの? おや、と思いつつ読み進めたら。
以下閉じますね。

インタビューを読むと、「とらわれて大事なことを忘れてしまっているのではないの?」と思えてしまったことが記述されている。
だがしかし、ここは私にとって思い出深いシーンだったりもするので、先にそれも書かせてもらってしまおう。


扱われていた場面はですね。
単行本で言うと6巻収録分。
このページから続く、ココでは紹介されてない徳ちゃんの台詞がすごいと思って*1、ここをフィーチャリングしてレビューを書いてぱふに採用されたことがあります私。
発売月翌々月の発売号に掲載されたんかな。
PNはこのはてなのIDとほぼ同じ*2
これ、まだけっこう普通に新書サイズが本屋にあるのよね。奥付でいつ発売だか確認してくりゃ良かったよ。失敗失敗。


こういうことを書いたという理由で、私は、「天使なんかじゃない」よりこの「ご近所」の方が好きなんですが*3、同じ意見を言うひとに会ったことが、10年以上経過した今でもナイので寂しく思っているのですがね。


さて、やっと本題に入れるんですが。
当時既に大人で、子供もいなかったからか、このシーンがどれだけ重要かを当時の私は見逃していた。
「生々し過ぎるからやめて」って、どうかと思ってしまうんですよ。
これって、大事なことではないでしょうか。

実果子たちくらいの年齢になって、好きなひとが出来て、自分も好きなひとも気持ち的に大丈夫となったらこういう方向にふたりの仲を深めても良いのではないかとは思う。だけど、セックスという奴は、『予防』をしなかったら、後の人生で傷に思ったり傷ととられるようなことが起きたりする。ここに描いてあることは、セックスをしたいと思ったら守らなくてはいけないルールのようなものなんだよ。これをしないと、後の人生で足手まといになっちゃうかもしれない赤ちゃんが出来ちゃうだけでなく、本当に欲しいと思った時に赤ちゃんが出来なくなってしまう危険だって起こりかねないんだからね。


上の長文は、元記事を読んでから数日間考えて今練り上げたものだから甘い部分もあるだろうけど。
ただ闇雲に蓋をするよりも、こういう方向に持って行った方が、教育的にはよほど良かったのではないかと考えた私だったりする。
このページをきちんと描くことは、性に関するリスク回避*4を教えるいい機会だったのではなかろうか。


それを、雑誌の伝統と、読者の年齢層に「ふさわしくないから」と言ってギャグで逃げさせたのは、余計になにが描いてあるのかわからない子も、当時いたのではなかろうか、と思う。
矢沢さんがそういう「教育的配慮」まで考えて描いていたかまでは、この記事だけでは私には読み取れなかったのだけど。
というか、私がこのシーンを素通りし(て次のページに着目し)たのは「当たり前のこと」という感覚だったからだけど、矢沢さんも「当たり前のこと」として描いてたのではないか、と推測してみたくなる。

この時やっといたらモア・ベターだったんじゃないかと考えられる対策はだ。
単行本収録時に、「まだ小さい、誰かを好きになったことのない読者の皆さんは、大きくなって好きになったひとに想われたとわかった時に、この本を思い出してもう1度読んでみてね」とかなんとか書き添えることだったのではなかろうか。


今のりぼんの部数低迷のウラというか「りぼん病」みたいなものって、事態が深刻になった今だからこそ、見えてくるものがいっぱいあるよね。
どんな状況でも、恵まれてる時には見えないことがある。


「災い転じて福となす」じゃないけど、ものごとなんでも利用方法次第で、より良い方向に持っていけるのだと思う。
それが可能な思考の柔軟さは、たとえその場では苦労したとしても、持っていた方がいいな、と思える出来事だった。

次は明日かあさって付けで、LaLa5月号の感想を書くことにしましょ。

*1:どうして引用しないかというと、現在自宅に単行本がナイからである。間違いが元で手放してしまったのだ泣

*2:こっちは小文字・あっちは大文字。その程度の違いなので上野の国会図書館のこども分館で読んでも割とすぐわかるかと思います

*3:最も実態は、続く「下弦の月」が矢沢作品でいちばん好きなので、あるオフ会でそれを正直に言って、参加者全員をどよめかせたという話が去年あったけどw

*4:これって「セーフセックス」と言っていいのかな?