マリみてが人気出た原因ってのはもう語りつくされてて、私がここで言うことも既にどこかで出てて、ひょっとしたらその中の誰かの意見の影響を受けているのかもしれないけど。
要は、男の子ばかりの群像劇ならそれまででも少年漫画にいっぱいあったけど、女の子ばかりでそれをやった。で、そういうのが欲しかった人間が飛びついた結果なのではないかととらえることもできると思うんだ。私もそこが好きなのかもしれない。男の子ばっかりのところって、基本的に入っていけないんだなあってそんな気がずっとしてて、その中にホモソーシャルを見て、だからあたしはホモソーシャルが嫌いなのかな、とかね。
もちろん、明治の終わりから昭和初期にあったエスの香りを感じるあたりに飛びついたひとだっているが。かくいう私もそういうの嫌いでない、というより、サイトのどこか探すと出てくるけど、中学時代に「姿を見られること自体が嬉しい」という方向に好きだった女の子の先輩いたし(当時身長170あった私より20センチくらい低いかも、というほど小柄で、やせていて、エキゾチックな感じにキレイな先輩だった)。
ただ、なんだろう。祥子や令が卒業控えているのにあまり寂しくないというのは。単に個人的な好みなのかなあ(ふたりともある意味2大テンプレキャラ的でもあるしなー。令と由乃なんて、性格設定が今のものでなく、由乃のキャラが典型的な80年代以前ヒロインタイプだったらはっきり嫌っていたんではないかと思えますしね*1)。
とりあえず、ジャンプ・男の子の世界にあって、でも少女漫画には恋愛ばっかり、というのってどこかフェアでなかったんだなあと今は思う(セラムンが一段落してた頃だよね98年って)。98年には、少年漫画にもずいぶん恋愛ものが入ってきてたけど、「女の子だけの群像・絆もの」というのはマリみての登場まで待たなきゃならなかったんかな、と、述懐してみました*2。