18くらいの頃に読んだ、イラストや漫画のいっぱいある大判の本を含めたら、彼女のエッセイを読むのはもう、3冊か4冊目になるのではないかなあ。
少女漫画家では、エッセイを書籍として発行した数もトップクラスなのではないかと今思った一条さんの、多分最新エッセイ。
9月の終わり頃に買ってあったのですが、今読んでます(爆
- 作者: 一条ゆかり
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2008/07
- メディア: 単行本
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前に読んだエッセイよりも、一条さんの「素」が出ている感じですね。「人間・一条ゆかり」な感じですか。
いったんあげる。続きは数時間後(w
〜〜一応読了して。
共感できるところも多いし、学ぶところも多かったです。
ただ、私の場合は、も少し中途半端で、その分わかりにくいから、一条さんほどの処世術は身につかなかった。
「相手が納得行くようにやればいいじゃない」ってこともなげに言うひといるでしょう。
それをやってきた一条さんはすごいけど、真似はできないな。親の態度が中途半端だった分、部分部分で甘やかされてるから身についてない。ほんっとにウチの母はわからん。
そういえば、「不良が好き」という感性。中学生の時には確実にあったんだけどなー。どうだろう、今。
まあ、昔「はみだしっ子」を読んだらアンジーへ行ったので、優等生よりはそういうタイプの方が好きなんでしょうけどね。
今は「なんでも持ってます」という男や攻めと、「何もない・あるのはあなたへの想いだけ!」な女や受け、という話はいらんなあ。
P.41 「私は金持ちになりたくて漫画家になったわけじゃない」という気持ちをディレクターがわからなかった、と書いてますが、1960年代の終わりって、まだ漫画家って、ここまで儲かる商売になってなかった頃じゃないかなあ、でもその人は若くてそれが想像できなかった。と一瞬思ってしまったけど……そんなことないか。
P.56 欲しいかいらないかで変わるというのも真理かね。
とりあえず私の場合、高いところのものをとるのは自分で出来るからなー。
P.62に書いてあることを応用して「自分だけは自分を信用できるようになれ」たらいいなあと思いましたね。まあ、子どもの時から視力悪かったんで、自分が見たものは大丈夫か本当にそれなのか、という部分はありましたけど。
そういえば、10年くらい前までは、電車を降りる際に席を立ったら、シートの座ってた位置をぺたぺた触って確認してたもん。手が汚いのが我慢できなくなったせいでやらなくなりましたけど。うん、「見えないものは見えない」って、納得できるようになりはした。
男性に対する「らしさの押し付け」が残ってることも、一条さん感じてるんだね。きっと。
「開き直り*1」と「モッタイナイ」と「飽きっぽい・でもマイナスのことには執念深い」。うん、このひと確かにA型だわw
P.93 ここを初読してすぐ持った感想。
「有閑倶楽部はジャンプスクエアに一度持って行け!」
P.98 「一条さんの作品って、一条さんに似てますよね」と、よく言われるそうですが、そんなの当たり前でしょう。書くひとの頭と心・その中に刻まれた記憶から出てくるんだから。だから人生観や恋愛観が書くもの描くものににじみ出て当たり前だと思ってる。まあ、たくさんのひとが皆同じ考えだと気味が悪いから、必要あらば、まったく違った考えのキャラクターだってつくらなきゃならんだろうけど*2。でも、あまり違いすぎる発想がその作家さんのパブリックイメージになってしまったら、そのひとは後で苦労するだろうなあ、と思う。だから、そう思われているならまだ幸せなのかなあ。
P.100で出てきた「テリトリー意識」。これについては考えてみたいと思う。「仲間幻想」が強過ぎるのか、時に排他的な発想が浮かんだりするから。
そういえば、漫画のほうの一条作品って、最近あまりちゃんと読んでないなあ。「プライド」は機会つくって読みますかね。
P.109 「人生の師」と「ひととの信頼関係」か……そういえば壊すのは一瞬だよなあ(トオイメ)。
P.114〜119 私の課題じゃないかこれ(爆)。
むごい話とも「遅くないってホントかよ」とも思うし。「出会いがない」とか「いい男いないわー」とか嘆いた記憶はないんですけどね。
やや話がズレるが、「自分を捨ててひとに合わせる」ということに抵抗感があるというのは、100%自分の人生だという実感が薄いからだと思う。
特に最近、「支配被支配」感のあるものが嫌だと思うのも、原因はそこなのかな。
完全に相手の好みに合わせることが出来るのは、自分の人生を生きているって充実感があるからなのかな、と思ったりもする(恋人が変わるたびに趣味が変わるタイプのヒトなんかね)。
まあ他にも印象的な言葉はありましたが。
ラスト。このひとは、説教くさいのや「水戸黄門」なんかやって欲しくないなあという気持ちが、正直言うとあります。まあ、作家さんの「やりたいこと」の変化は、快く見ていたいものですがね。