「ざれごと寝言大事なこと」日記#6

西山香葉子という同人者の本性がわかる? ぺーじです。

「図書館内乱」

本日夕方5時がこの本を借りていられるタイムリミット(後がつかえているので延長は不可!)だったのに、けっこう残していたからとにかく先を急いで読んでました。朝からパソの電源入れもせずに(苦笑。でも洗濯はした)。
めっちゃ面白かったです。
続きがすでに来ているのが嬉しいですね。

こちらの続きです。


バラバラに見えた2話目から後のお話たちが、最後までひとつの伏線に繋がってたのね、と気がついたのはラス前の手塚と柴崎のシーンでした(苦笑)。

3話目は、柴崎のその美貌がゆえの苦労と、やや普通から逸脱している部分。

いろいろ仕掛けてくる同僚女子の姓は出てくるのに、その女子隊員にそうさせる原動力になってしまっている男の名前が出てこないのも話の本筋でないからか。

しかし有川さんてちゃんと女子社会見てるよなー。そのあたりの観察眼とか、あたしには足らないなーと今回思った。学生時代にクラスで浮いてることから逃げてたのがこの観察眼のなさに現れてるのかも。友達がいなくても養われるものなのねこれって。13歳からやり直したくなってきた気分だわ。
その種の立ち回りの下手さみたいな部分だけは郁ちゃんと共通してるんだよな私(自己嫌悪の原因とも言える)。
まあこの広瀬って女もあまり周囲にいて欲しくない女だが(百害あって一理ナシと言う気さえしてくるわね。でもってこの手のはおそらく、自分が誰かと付き合う意思がないと言っても納得してくれない引きの悪い面倒なタイプではないかと推測が出来る→この程度なら中学くらいの頃にいたかもしれん)。

天然というのは本当にやばいことでも躊躇なくやらかすから天然なのだ

ということを私は自分の過去の数ある失敗例からよく知っている。
実に重い一文だこれは。でもって、「天然」と言われて喜ぶ者はそう呼ばれて利を得るなどして、周囲に自分を天然と見せる策略を持っていると考えて良さそうデスよ。得だと思うことは良く受け止めるが損だと受け止めていることは喜ばないのが人間だから。
で、某所で少し前にチラッと書いたのだが、

人付き合いのコツが誰も信用しないこと

というのを23歳で既に知っている柴崎って悲しいお嬢さんだと思った。これが後述される彼女の適性にもなってはくるのだが→P.166の

巧く立ち回るために周囲を貪欲に利用して、それが結局仕事にまで繋がっている

というのも伏線だったんだね。


で、新館長が就任した。これも今回の特大のスパイスか。

「言行一致で常に正しく」ってのは理想だよなー。あたしは「清濁併せ呑むことが出来る方が大人だ」と思ってるんだけど。

折口さんと玄田隊長のやりとりも読んでてつらかった。


新館長のバランス重視主義もなにかの強迫観念かと思ったが、このひとは後でけっこうあっと言わされた、とここではこれだけ。

で、第4章。

いきなり小牧教官と毬江ちゃんからはじまるけど(やり取りが可愛い)、この章に関してはあまりコメントしたくない、とこの章を読んでいるだけの段階では思わされた章。うかつにつつけない部分があって。
P.220の教官ふたりのやりとりは好きですが。

図書館の歴史は、1回自分でさらってみた方が良いのかもしれないと私は思っています。

以下の段落ははてなであげようか迷ったんですが、この章で問題にされたサイトを面白がる人たちというのは今なら2ちゃんねるも好きだと感じた。2ちゃんを読むのが好きな理由みたいなものをちょっと前に(すごく身近な人間から)聞いた経験があるだけに。

「地雷に片足」→美女ってこういうしゃれた言い回しホント似合うよね(笑)。

で、章題通り、手塚とお兄さんの話にもなっていくのですが。

P.258。あたしはこのページの郁ちゃんのようにスパッとは意見出せないなー。
でも単純さは郁ちゃんに近くて口の悪さは柴崎に近いって最悪じゃない。しかも乙女度は低いときた(これが低くてもイコール女性的でないとは言えないんだなあ、と最近は感じ始めているのですがね)。

P.266。これは堂上教官が受けたダメージも相当きつかったんではなかったかと(苦笑)。

で、第5章。

手塚が呼ばれないのは、家族が図書館の関係だから、とは思ってたんですが、お父さんつながりでない、でもって更に、というのでやられました。と先に書いてしまいますね。


で。P.274。それを「天の配剤」と言うなんてという趣旨のツッコミを郁ちゃんがしているのに、そこで「天の配剤」だと納得してしまう自分は程良く大人なのか汚れているのかどっちでしょう。実年齢を知っている人には『年齢相応』だと思ってもらえるでしょうかね。

次のページでなかなかすごい独白が出てきてますけども(笑)。

P.276.うっひゃー、この場の登場人物誰もわかってねー、と思ったが、私も正解は出せなかったんだから、突っ込む資格はないか(でも書いちゃいました苦笑)。

P.281。そういう場面ではないのに「見計らい権限の三正」の話が出たとたん笑いそうになりました私。

郁ちゃんが査問を受けながら、対策を練ってくれたみんなの筆跡を思い返すあたり良いなあ(数ヶ月前LaLaで読んだ金色のコルダの香穂ちゃん演奏中の回想のあたり? を思い出しました)。

で。
「今優しくしちゃイヤです」のくだりって世間では「ベタ甘」の範疇なんだ? という認識がここで植えつけられた(爆笑)。それだと「命令でも約束でも守れるならどっちでもいい。好きなほうで」という趣旨の台詞もそう解釈できるなあ。
あー、こりゃ好きな人は好きだわー、ホントに。このシリーズ。
よくLaLaで郁ちゃんの頭をくしゃっとやる堂上教官、という構図があるけど、それだけじゃなく、今回このシリーズを複数の友人が好きな理由がわかった感じです。これは「別冊」読んだら死にかけるな。予想立てておくか(笑)。

話を戻して、P.296の手塚の憤りで、私は(今ではミスリードしてたという)部分を妙に確信持っていた気がしはする。

P.299。玄田隊長最高! 好きだわこのひと。そばにいて欲しくないけど(笑)。

P.302のあたりの「あの子だったらやりかねない」という見方の存在についてはもっと読み込みが必要なあたりだけどできるかなあたし……。

P.324で手塚兄が使った言葉も、後述する「受けた入れ知恵」の中で聞いていたことだが、この「入れ知恵」をされないで本当にまっさらな状態でこの本を読んでいたらこの場面をどう思っただろうか。って「タラレバ」言ってちゃいけないんですが。

P.330。あたしもどちらかと言えば「感覚派」なんだと思う。右脳左脳調査みたいのやったらだいたい右脳派と出るし(こっちが感覚派だよね)。弟はそういえばそのあたりがあたしや母と大違いだとよく言ってたけど、そういうのも「逃げ」の一種という考え方もあることは先ほど母と少し話してわかりました。

P.332。郁ちゃんの優しさの一端が見えてくる。

実はこの郁ちゃんの査問というのは、終わってみれば「茶番」という言葉を使うことができることなのかもしれない。

P.341。このあたり少し百合妄想の余地あるかもしれない(苦笑)。

あとは……「やられたっ!」かな? あと、ウィキペディアの意味がよくわかったかも。トリ頭で良かったわあたし。そうでなきゃここまで楽しんでなかったと思う。

若い女のぶっちゃけた部分も好きなんですが(別冊が本当に楽しみだ)、手塚の「女に夢も希望もなくなるな」発言に共感する男性もいっぱいいるのではないでしょうか。

そして、この巻を最後まで読んで改めて実感したのは、「郁ちゃんて本当に子どもだ」ということだった。

あと、シリーズの人気の理由がわかったことと、あるひとから入れられてた入れ知恵が真実だったことが妙にいろいろ納得できた巻だった、ということで。

超長文、お付き合いすみませんでした。

図書館内乱

図書館内乱

さー、次が控えてる! さくさく行こー!