「恋愛できない男たち」を読んだ
今日は久々に読了した本を貼ろう(ってこの前「キラメキ☆銀河町商店街」4巻貼ってたっけ)。
これ。
- 作者: 速水由紀子
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2002/10
- メディア: 単行本
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どえらい昔(という感覚なくらいは前)に買ってあった本だけど、読み終えたら売っちまおうという気持ちで最後まで読んだ。
わたしがこれまでに思ってきた考えてきたこともかなり書いてはあったけど(ホモソーシャル的なものは嫌だが私のそれはもっと利己主義的な理由に根ざしてはいるが)、読んで浮かんでくる疑問の方もすごく大きい、不思議な読後感の本になった。
非対称性のあるものに対して嫌悪感を持ったりとかも似てなくもないのだが。
けっこうなページ数を割かれて「ロリコン」の問題に絡んで書いている。
「ペドファイルは病理だ」という意見がある。
男性は近い世代の大人の女性・女性は近い世代の大人の男性としか恋愛しちゃいけない・それができないのは病気という強制圧力の存在もいやだが(マイナー・セクシュアリティというのはペド以外にも存在するからね)、ゲイやビアンは、はっきり「同性愛者」だという同性を選んで手順を踏んでおつきあいすればなにも犯罪性のかけらなどないが(DVには気をつけなくてはならないが)、ペドの場合は相手が子供である。
「子供」が「傷つきやすく守らねばならないもの」と決めきったものでもないのだが。精神的成熟度に伴っていろいろなタイプがいるから(それは子供に限らず十把ひとからげに捉えられがちな属性すべてに当てはまりはすると思うのだが)。その精神的成熟度については後で少し語る。
ものごとなんでも「相手が嫌なことはしない」。これがすべての基本だと思うのだが、知らずに相手が嫌なことをしてしまうこともある(1度経験して、ああ、この人はこうだからこれをされると嫌なんだな、ということを学んで二度とやらなければ良いということも言えるが、ものによっては繰り返してしまうからまずくもある)。これが、「顔の表情」などという、研究が必要でなおかつそういう研究をなにもしたことがない場合は研究もしなくてはいけないのだろうか?
80年代、大人たちは、その後の社会の状況から見て、誤ったことをやったんだとあたしは思っている。たとえば、校内暴力への対処(これはばれなくてはいい、という発想のもとファッションで不良性を表現するようなのが減って、「普通の子」がそれまでの常識からすると「常識はずれ」に見えることをやるようになっていき、いろいろなことが陰湿になったという印象があたしにはある)。たとえば、1989年の埼玉東京連続幼女誘拐殺人事件の報道(これは今回紹介している本でも語られている。「間違い」という言葉は使用していないが。55Pあたり)に関しても。
ただ、64Pで紹介されている彼は理解できなかった。オタク男性にも当然だがかなりいる、アニメ好きの部分を持ちつつ彼女がいたり妻帯しているタイプと同じと捉えて良いのだろうか?
(ちなみにコスプレをいとわないタイプの女性だと、こういうタイプとの関係性はより良くなりそうな気がする→サービス精神のようなものは大切でないかと思ったりするので)。
妙に「ピュアさ」を求めているような意見が出てきているがあたしは今「ピュアってなに?」という心境だ。
母親の言動でも一時期たまにあったのだが、自分より年上(特に5歳以上)の人間が妙なところで純粋さを垣間見せるととんでもなくびっくりするところがある私である。母を見てると「えっこんなに単純でいいの?」と思うこともある(主治医に言わせると良いらしい)。
ちなみに「いわゆる子供らしさ」が良いことだとされているような印象を受ける世界を構築している漫画作品に「DRAGON BALL」があるがあれは私は好きでない。成長してからの主人公が好きになれないのだ。どうも鳥山作品には「大人が持っている欲望」(性欲とか出世欲みたいなもの)を敵視する傾向があるような気がする。「筋斗雲」が「心が清らかな人(亀仙人いわく『よいこ』)でないと乗れない」というのはその象徴のような気がする。
欲望は物事の動機になることがあるから、否定したくないのだ。ただ、コントロールできないと迷惑になるから気をつけないといけんけど。
だけど、大人が思い込んでいる「良い子」を確信して演じている子供というのは、その時点で既に純粋ではないような気がする。
これが、演じる羽目になっている・演じなくては家庭に居場所がないというのなら同情するが「大人はこうしておけば喜ぶんでしょ」という気持ちでやられているのならそうも思いたくもなる。対応を変えなくてはいけない。まあ、「子供→『女の子』でも良い――はこんなんで喜ぶんだろうなー」という対応をした裏返しでやっているのなら喝采を叫んであげるけど。まあこれも、ずいぶん上の行で書いた「精神的成熟度」によることがかなり大きいのだろうけど。
129Pには「透明な存在」という言葉が出てきた。1997年春の神戸の事件で犯人が使っていた言葉だという記憶のある言葉なのでぞっとする。これって意味としては「ないもの」みたいな意味だろうか? これにも「それってどういう意味?」と問いかけを投げかけたいものがあるけれど。
18Pのタイプ別診断の「自己愛性人格タイプ」や、51Pの「彼にはしたくないロリコン男度チェック」の1番目のチェックポイント(特に「本質的なところで自分のコントロール能力に自信がない」というあたり)に、自分は当てはまっていやしないかという気がしてきた。ということは、未熟なのはあたしかな?
反省する余地はある。
自分が割と最近やらかして、他者から批判されたのと似たようなことを、最近離婚で話題になった泰葉女史もやっていた。それもテレビで!
私の状況は電話だったので、電話口だとどんなに抑えても声が相手に聞こえるということを改めて認識させられた。
セルフ・コントロール。
自分を抑えることをある程度覚えていかなくてはいけないのだろう。
しかし、読み終えた後で。
倉田真由美の「だめんずうぉーかー」が話題になり始めていた頃にこの漫画に関して友人男性が言った発言を思い出した。
「どういうのが『いい男』なんだろうね」(「趣味も持っちゃいけないなんて」的な言葉を後に添えていた気がする)
なんだか重く響くなあ。
現代は、恋人や配偶者に対してなにをいちばん望むかを明確にしておく時代なのかもしれない。