「ざれごと寝言大事なこと」日記#6

西山香葉子という同人者の本性がわかる? ぺーじです。

門あさ美という人を知っていますか?


わたしもよく知らんのですが、歌声だけは聴いたことがあるのだよ。
それは、わたしが3歳から中2まで途中間を空けつつもモダンバレエを習っていたからさ。
最後の3年間は(親が1万円積んだので→一人1万円出せば希望者を踊らせてくれたのだ。一番うまかった子はそういうのがなくても踊らせてもらえていたことを考えるとちぇーっだが、今になって自分の実力とルックスを省みるとそんなもんだとは思う)ソロで踊らせてもらえた。6年生の時は松田聖子の「天国のキッス」。どうやら聖子ちゃんカットをしていた世代のひとにはこの曲は彼女が聖子ちゃんカットを卒業した曲という認識があるらしいのだが、こういうわたしだけの思い出がある者もいるのですよ*1
で、中1か中2の時。この門さんの曲が回ってきたわけであるが、東京・三鷹市まで片道1,000円以上かけて(「研究科」のレッスンに)通う長い道中の中、ダビングテープを失くしてしまい、誰も持ってなかったので、曲を差し替えになったということがあった。
と、「研究科」について話しておかねばなるまい。
ある程度(5年以上、年齢は小学5年以上かな?)の期間以上レッスンを積むと、やはりそれくらいの期間レッスンを積んでいるよその土地の女の子たちが集まって三鷹市の新川団地というところで、月に2回ほど日曜日に特別レッスンを受けられて、そのメンバーだった時期があるのだ。年数は長かったが、ふにゃふにゃしていて年数の割りに下手だったと思うけど今思えば。
同じように遠くから(千葉・神奈川某所としておく)通っている子達とは帰りのバスや電車を一緒になったものだ。面倒だからレッスンでつけてたレッグウォーマーとタイツをそのままで電車に乗ったりして*2
バスの中での会話で強烈に覚えているのは、中学に入学してから、校則の話をしたことと*3、当時チェッカーズで飛ぶ鳥を落とす勢いだった藤井フミヤの年齢の話かな。
藤井フミヤの年齢は「いくつか知ってる?」と聞かれ「どーせ17,8でしょ」*4といい加減に答えたら「24歳だって!」と言われ、驚きのあまり電車の中で大声を出したような(笑)。
実際は22歳だったけどね。中学生にとっちゃ、親近感薄まるかしらん。

校則は、髪型の話で、わしの中学では許可されているポニーテールが彼女たちの学校では許可されていないということだった。真ん中でふたつに分けて結ばなくてはいけないと言うことだったそうだと記憶している。うちの中学は「結んでありさえすればいい」ような感じがあったから*5、恵まれているような気もしていたし、いろんな学校があるんだな、という認識を初めて持った気がする。これがなかったら、全然別の総武線沿線の学校のことなんて親交がなかったに違いない。

ちなみに特別にうまい人たちは、この先生にレッスンを受けている人たちの間では有名人。大半が高校生だからあたしたちより大人だしね。
そんなお姉さまたちの中に、チェッカーズのシングルをAB面ダビングしてくれると言うありがたいことを言ってくれた人がいた! 
申し出に乗りました。本当に、あたしと3つしか違わないなんて嘘みたいに大人なひとだったな。図々しかったり無神経だったりして傷つけたかもしれません。すみませんでした、とこの場を借りて。
この方はちょっといろいろあったんだよね。小さな妹さんがいらして、彼女が習ってたから、ある思春期らしい目的で中学2年生くらいから入ってきたとか聞いたような気がする。とにかく大人でお優しい方でした(というわけがあったので「先輩」という言葉は使ってないのだけど)。

このバレエは子供の頃の延長で、電話番号や住所を聞いて連絡を取り合うような知恵がつくのは、自発的に趣味で集まるようになる17歳以降のこと。この中学1,2年の時点でそういう知恵がついていれば今でもお付き合いがある子がいたり、前述のお姉さまともう少しは百合な感じになって読んでくださってる皆様にとって面白かったのですが(笑)。って、相手のあることだからそれでいいんだよね。

いつか書こうと思っていたモダンバレエの研究科の話になったなあ。
ちなみに中2の秋にやめる時、「男役がいなくなるー」と言って嘆かれたわたしである(当時身長が170に届こうとしていたからね)。よく考えるとちょっとグサだが、後年高校生でベルばらを読んだ時にオスカルにハマれなかったのはそのあたりにも原因があったと今は思ってる。メンタリティに「女の子は守るもの」みたいな感覚があるし。

話を戻すと、mixi門あさ美のコミュがあることをついさっき知り、なんて曲か質問してきました。判明したら報告するとして今夜はここでひとまず終わり。また明日。

関連でチェッカーズのどれか行ってみよう。LPは藤井尚之のソロ含めて4枚、CDは彼のセカンドソロアルバムを持っていた。尚之のファーストソロアルバムで初めて、男性に「セクシー」という形容をした気がする。声が良かったのさ。省吾の声に恋をする1年前のお話。

MOTTO!!CHECKERS

MOTTO!!CHECKERS

13歳の誕生日の、家族からのプレゼント♪

*1:でもカラオケでよく歌う聖子ナンバーは「天使のウインク」と決まっているわしである

*2:だから後年若い女の子たちの間でレッグウォーマーがファッションアイテムとして流行るけど何も驚きはしなかったわしである

*3:千葉ってところは「東の千葉、西の愛知」って言われるくらいの管理教育県だったからね。小学生時代これを知って震え上がったものさ

*4:アイドル的な人気の出方とその童顔が根拠。お若いお嬢さんたち、20何年前はこんな時代だったのよ

*5:ゴムの色は制限があったしリボンも禁止だったが。だから、1学年上には片耳の上で纏め上げる過激な髪型をする者も目撃したし、わたしが想いを寄せていた先輩など耳の下からたらしていたことが多かった。「キスよりも早く」で時折ブンちゃんがこういう髪型してたかもしれない