- 作者: 荷宮和子
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2004/12
- メディア: 新書
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これ、ここ2.3日でターボかけて読んでます。通勤時間ができたし。
まあ自分の世代の自己弁護の激しさは、人は自分が帰属感を覚えるものを擁護したくなるものだから仕方ないけれど、「団塊ジュニア以降」とひとくくりにして欲しくない。団塊ジュニア世代にはあんた達の世代に怨念もって生きてるヤツだっているんだ(詳しくはここ参照。誰からもスルーされてて、先日mixiでちょっと書いたら男性からひとりだけ反応あったけどさ。こういうネタって女性受けしないよね確かに)。マスコミからちやほやされてたのって(ということを考えるといかにも2ちゃん的な「マスゴミ」という表現ももっともだと思ってしまうがプライドがあるので使わない)、上にも下にも巳年がおるなあ、なぜ?
あ、そのコミュで、「71年生まれってまともに就職できた最後の世代ですよね」と書いた人がいるが、おそらく同じ年に生まれたのに、高卒と大卒でこれほど差が出た年はそうないのではないか(71年を中心にしてプラマイ2歳はそうだと思う)。
74年生まれが高卒で就職した93年になるとすっかり悪くなってるしね。
1960年代以前生まれの言論人へ。
団塊ジュニア世代と「ルーズソックスを履いた」奴らを一緒にするな! というのがわたしの基本的な思いです。まあ、72年生まれでも東京じゃ化粧してる奴らがいたらしいですけどね。ルーズソックスを履き始めたのは74年? 75年生まれか?
書いてあることでまったくちんぷんかんぷんなことは多分なかったと思う。知らなかったことは「へえ、そうなんだ」と素直に受け止めた。まあ世代の問題は上記したとおり。大体ひとつ上の世代のやることと違うことをやってしまいがちだしさ、ひとって。センター試験になったのってわしらの代からだし(90年。わしは受けてないけど)。
まあこの本って、林真理子の書き方考え方の良さを拾って、上野千鶴子らの的外れさを指摘した本といえるかな。帯のコピーが「上野千鶴子にケンカを売る」だったみたいだし。
上野氏の本は読んだことがないので読んでみてからどう思ったか書く。しかし、「読みづらい」のか。どうしよう。「読みやすさが最大の売り」のコバルト育ちだしあっし。
「スイートスポット」があったからこそ、今のあたしがひとりで立ち食いそば屋や吉野屋に入って平気な顔をしているのか、もともと恥の感覚がおかしいのか(そういえば後者に女性ひとり客って自分以外見ないかも。頻繁に行くわけではないけどね)。
「フェミニズムとはオバサンの思想」と上野氏は言ったそうだが、となると、「世間知らずのくせに自分だけが正義と思い込み、すべてのことを単純にしか見られないひと(後略)」ってなんなんだろう。そんなおばさんって、時として敵にならないか? そんな風にはなりたくないから気をつけよう。
うちの母と話をするとたまに「えっ、こんなに単純でいいの?」と驚くことがあるが。
うちの場合は、「実家にいたければ家事をするか稼いで家に入れろ」なのである。
家を出れば稼がなければいけない。
まっとうといえばまっとうだが、同じことなら家から出たいと思うのが当然だろう。
この息苦しさの原因がそれだけなのか。
なんなのか。
とにかく、家にひとりでいるときは楽である。
ついでに言えば、ここに糾弾(までいかないか)した、「女を二種類に分けて対立させたがる」ものの正体は、「『喧嘩などといった愚かな真似をしている、男よりも劣る他者』を見下すことと同様」なんだな、と思えたのも収穫だったかもしれない。
「負け犬の遠吠え」からも引用されているがそれはある種の「おちょくり」タイプの文章だった。「あ、これおちょくってるな」と最近は少し冷静になれている。自分のそんな文章が書けるかは別にして(あたしは自分でそういうのを書くのはやめておこう、やめた方がいいと思う。「冗談を言うのも気をつけろ」と言われているような女がそんなもん書いたらインターネットに居場所なくなっちまうから)。
まあ、前にも書いたが、あたしは、「幼稚園の七夕の短冊には『職業』を書くものと思っており、誰に教えられたのでもないのに『お嫁さん』という選択肢はアタマになかった」女である。最近は薄いが、「結婚したい」という気持ちは14歳になってからついてきたので、「子どもの頃から結婚願望が強かった」というと多少の語弊が生じる者である。
だから、ま、こんなもんか?
あ、そういえば。
「好きなひと(本では「異性」となってたが私がここで変えた)とのセックス」と「売春=相手を選べないセックス」の違いみたいなものは、ガンダムWやってた頃にちらっと書いてサイトにもあがってたような気がする(レイプされた女の子が少しでも傷を和らげる? 「書き手側の言い訳」として「好きなひととならセックスをしたことがある経験」を捏造したんだったかと)。あれを一次創作で書こうとしたらどんな舞台設定が必要なのか。今度考えてみたい(ヒマあるのか?)。
「苦しさのあとの嬉しさ」っていうのは「達成感」かなあ、とか。
いろいろ考えました。
「自分が一番かわいい」「他人のことなんてどうでもいい」が『他人のことを差別したり罰しんぐっしたりなんてことには興味がない』という方向に結びついたのなら、80年代という時代は本当にいい時代だったみたいだ。
「自分がかわいい」という感覚がない、とは、わたしも母に思われている。
192ページに「初物はうまいもんじゃないですよね(笑)」という発言がある。確かに「他に言い方はないのか」と言いたくなるオヤジな言葉だ。
ついでに言えば、初物ってハズレばっかじゃないよー! 想像力と思いやりがあれば、きっと。