「ざれごと寝言大事なこと」日記#6

西山香葉子という同人者の本性がわかる? ぺーじです。

今日は、美内すずえにちょーっとてこずったかな、と。

90年頃は「ガラスの仮面」めあてで花ゆめを立ち読みしていたものだけど(そして当時は、女優としての才能しか持っていないマヤちゃんが主人公で、生まれや親やいろんなものを持っている亜弓さんが努力型、というキャラ立てを面白いと思っていたものだが、今思えば非常に王道だと思う)、あたしが花ゆめを買い始めた92年冬には長期の休載に入っていた気がする。あ、亜弓さんて、監督やプロデューサー業にも進出しそうなタイプの気がしないでもない。ってそれどころではないし、そういう女優って特に日本には少ないけど。
でもってこの作品にはあまり思い入れもないので、困ったのだな。
何かで読んだかアニメで見るかした第1話も、今思うと、マヤちゃんってひょっとして××××××じゃないのかと思えてしまうし。

昔、10年くらい前のあたしがよく言っていたのは、「才能がたくさんあればいいのにな、そうすれば人間としてどこかおかしくたって許してもらえそう」という台詞。

「才能」と「漫画」といえば。

アダルトチルドレンと少女漫画」で荷宮和子氏は、「SLAM DUNK」について、「腐」的でない女の子向けのアピールポイントを語っていたけど(期限が来たので返す羽目に。この本欲しいなあ)、で、晴子ちゃんのキャラクターをけっこう誉めていたけど、よく考えたらこの漫画って、「女の子が男主人公の才能を見つけ」てないかい? 
これって1990年としてはけっこう新しかったのかもしれない。
見つけただけで指導は兄や監督に委託してるけど、たまにボールで一緒に遊んでるシーンあったよな。

男が女の子の才能を見つけるというケースはけっこうある(あたし推奨の「あなたとスキャンダル」だってそうだし、「快感フレーズ」だってそう。他にもいっぱいあるに違いない。古いところで「エースをねらえ!」もこのパターンか?)。
ガラスの仮面」は、マヤの才能を見出すのは月影先生→女性だしなあ。

現実には、女性が男性の才能を発見してプロデュースして世に売り出した例は確か、エディット・ピアフがイヴ・モンタンを、だったと思う(イヴ・モンタンて、桑田圭祐のペンネーム? のネタじゃなかったっけ?)。こういうケースないかしらん。ただ、イメージが固定されちゃうんだけど。でもこういうパターンを男女の従来の関係のイメージに当てはめるのはどう考えても無理よねえ。

途中からジェンダーネタになっちまったので、そっちのカテゴリも付け加えとこう。