「ざれごと寝言大事なこと」日記#6

西山香葉子という同人者の本性がわかる? ぺーじです。

フロン 第2回

本文読みました。

ふむふむ、今の子の時間の流れはスゴイですな。12時間でAくんとのお付き合いが終わって(?)、戻そうとするんだけど、縁があったので次々行くと。
みんな結婚と育児に憧れがあるけど、恐れてもいて、自信がもてない(わたしもよくわかる)。
で、著者は、「出来ちゃった結婚」には反対、と。
なぜかというと、今の50歳以下の人たち(と便宜上片付けさせてもらう)は、「自分の気持ち至上主義」*1で生きてるから、我慢することを知らないけど、育児というのは我慢の連続だから、よほどの覚悟がなければ、堕ろした方がいい、と。
あたしの話をすると、彼と結婚するのかな、と考えたこともあるけど、向こうの両親と同居して、家事もあたしがやるのかな、というあまり楽観的でない想像をしたことがありました(本来楽天家なのですが)。彼はあたしと同じ年だし、ご両親もうちのとそう変わらない年齢なので「立ってる者は親でも使え」という方針で育ったと言うのが唯一の救いの種だったかな。
この本は、我慢や継続を美徳としない時代に幸せに育児をする方法、というのを説いた本と言えます。
結婚によって、「感情の自由」も奪われてしまう、と聞きます。
これは「無理な思い込み」を生むわけです。
夫となる男性がひとり暮らしの経験がなくて、妻にあった場合、これも悲劇だな。

社会的な「男らしさ」「女らしさ」の呪縛が、男と女の「自分と他者の感情を見つめる」能力の差を生み、夫婦のすれ違いの遠因になっているとも言います。
あたしはこの辺を読んで、「ビジネスだって人間相手なんだから、相手の感情や気持ちをある程度読める人の方が仕事が出来るんじゃないの?」と思ったのですが、これって甘いでしょうか?

あと。「オンリーユー・フォーエバー幻想」(以下略して「OF症候群」て書くわ)。日本女性特有のものだと著者は語ってるけど、これって絶対少女漫画によって育まれてるよね。
「自分を好きな人なら誰でもいいなあ」という男性の気持ちが、今のあたしなら多少はわかる。これ聞くと女性は「他の誰でもいいってこと?」って怒るんだけど。
1999年、「ストーカーになるくらいあたしを愛してくれる人がいたらその人と結婚してもいいなあ」とできたての友人に話したら「よほど疲れてたんだね」と彼女に言われました。それくらい「自分が蚊帳の外に置かれた」のがつらかった。あの頃「アンタ当事者でしょう?」とよく突っ込まれたけど、今なら言える、しょうがないって。蚊帳の外に置かれてたんだもん。だからそうじゃない、ほんとに愛されてる実感が伴う(のが「普通」の恋愛だと思ってた)恋愛がしたかった。
今はね、難しいね。
ここでマイミクさんの文章を引用するね。以下3行。

世の中には常に恋をしていないと生きていけないタイプの人間が少なからずいる。常に異性の目を気にして行動、休日は恋人と過ごすのが当然。したがって、一人でいることを嫌うし、同時に一人で行動するタイプの人間をバカにすることすらある。

(筆者が多少リライトしました。助詞を足したりとか。本人から引用許可は得ています)。

同人だけじゃなく趣味を持ってる人間と、土日休めない人間にはまず不可能だこんな生き方。でもいるかも、こういう女。あたしの周りに少ないだけでかなりいるのだろう。あたしの友人はヲタが多いし、ヲタでなくても仕事が好きだったり、あたしの友人で一番それに近そうな親友のYちゃんだって、ミスチルが大好きという自分の世界を持ってる(ってまた連絡取れなくなってんな彼女)。かなりうっとうしい女かもしれん。2000年頃のあたしはこんな女になろうとしてたのか?

いい加減長くなってきたので、最後にふたつ。
著者が「少なくとも今の男性のヲタのメインストリームじゃないのかも」とあたしが思った一言を。
「人間の幸せは社会との関わり合いで決まる」
なるほど、と思った。確かにあたし、仕事があるときのほうが気持ちがいい(家族の風当たりが減るだけじゃないだろう)。
あと、関係ないかもしれないけど、本田透氏は、「OF症候群」と違うか? 症状が違うだけで。

フロン―結婚生活・19の絶対法則 (幻冬舎文庫 お 26-1)

*1:今の自分の気持ちを大切にしたい。その気持ちを貫くことが信念であり、その気持ちを失うことが挫折である、という感じの考え