「ざれごと寝言大事なこと」日記#6

西山香葉子という同人者の本性がわかる? ぺーじです。

この項は、今まで5年と少しサイトやってきた中で一番暗い話になると思うので、そういう話が嫌いな方はここで読むのをやめてください。


今日経験したことは、「人が、ささいな、誰でもできるような簡単なことや経験するようなことを、やらない・できないのって、それをするのになにか心理的な葛藤が働いているんだな」ということでした。

起きたこと自体は些細なことなんです。
バッグに入れてた裸現金盗られたんです。
2000円。
今日行ったところは、今までで最も交通費の安かったところだったので、それプラス小銭で十分と思ってました。まあ、後から買取と言われたので、支払いをする時都合がいいように折を見て3時半頃、鞄を置いてある更衣室へ行ったんです。ついでに暑くなったので、着ていたカーディガンも脱ぐ目的で(表向きはこっちが主目的ね)。
それでバックを探したらなかったわけ。
やられたよ。
まあ、そんなことしてたら盗まれて当然ではあります。それはわかる。よく注意されたし、今でも納得はできる。


でも。


お金を受け取った時点で、そのまま財布に入れるのに抵抗がなければ、そんな馬鹿なことしないんです。

何で抵抗があるのか。
お金を受け取った後、洗わなくては気がすまないときがあるんです。で、それを乾かさなくちゃ財布に入れられないんだけど、それをする時間がないとき、バッグの中に裸現金ということになるわけ。
人から受け取るときは人によりけり。
近所のみぞれ銀行*1と、某コンビニのATMもダメ。メインバンクみぞれ銀行だから、自分の用事でおろす時は基本的に二番目に近いATMまで行ってます。1キロくらいあると思う。これはまあ、メリットがないわけじゃないからいいか。
一時期(2001年か2年)、買い物してお釣りをもらうたびに、もらったお釣り洗ってました。
最近は多少マシになったんですが。
落ちたお金他いろいろも洗うし、携帯電話とか本(これも一時期濡らしてた。そのうちウエットティッシュ*2を使うようになった)はウエットティッシュで拭いてます。これで携帯いかれさせたこと何度かあります。

そういえば、この、「やたら手(他いろいろ)を洗う」癖がついたと自覚してから、もうすぐ10年になります。10年たっても治らなかったか。あーあ。

最初の記憶は、某JRターミナル駅の、自分がやってた売店のそばの水道。トイレに行く前に、そこに店から石鹸もって行く。で、トイレに行って手を洗ってきて、そこでも石鹸で手を洗って、帰ってくる。そのうち何のストレスか、○○○の中が異様に痒くなって、それを掻いちゃって、それで、「一度汚いものに触ると、その手で触っていいものしか触れなくなる」ようになります。
知らない町へ行くのが期待半分、不安半分になりました。トイレの外に、また別の水道がないとストレスになるんだから。
1998年、長野五輪女子フィギュアスケートフリープログラムをやってた時間。あたしは当時の彼氏(もう何度も登場してるアイツデス)に「なんかあたしおかしくなっちゃった気がするから少し距離置こう」と言ってたような気がします。ホントはそういう時こそ支えてもらわなきゃいけないはずの相手に。このとき一回とある病院へ行ってます。薬飲むのが怖くて二度と行かなかったけど。ただ、それをあいつが「渡りに舟」と考えてた可能性があることはこの日記をずっと読んでる皆さんなら見当がついていると思います。その後、4月の下旬に、パソコンが壊れたんで直してもらうんでうちに来てもらって*3。そのとき変な音がしたんで何か気づくべきだった、と思ったのは後の話。
で、6月。奴の誕生月。その話をしていて、奴があることを言って、わたしが切り返して、で、そこで「惚れ直した?」と普通聞くところをなぜかそういっちゃいけないものを感じたので、「尊敬した?」と言ったんです。それが合図になったんだね。奴は「好きな娘ができた」と言いました。4月のときの変な音は、ヤツが彼女との連絡用に持ったポケベルの音でした。あたしには必要としなかったんだ……。
最初は、実はあたしにも落ち度があって、奴に保険かけて売店のバイトの男の子との間で揺れてた時期があったことをこのときカムアウトしました。まあ、その子に最初にちょっかい出されたときの話はしてあったんで、話は早かったです*4。ただ、その子とできあがっても、ヤツとは友達でいたかったから結局きちんと動かなかったのね。二人で飲みに行ったこともなかった(でも多少は思い出があるのよ)。この「二人で飲みにいたこともなかった」がキーポイント。

夏の終わり、ヤツに呼び出されて、○○○で衝撃の自白をされます。具体的に何を言ったかは、今はやば過ぎるんで避けさせて。ただ、「あたしが二人で飲みに行ったこともなかったのに……」というのも怒りの理由にはなっていました→デートはしてたと。それから泥沼だった。おかげで恋愛感変わった、もしくは恋愛に対する期待が大きくなった気がします。これでそのあと5,6年「自分探し」みたいなことをして迷走するのである意味初めて「普通の女の子」になったのかもしれませんが。新婚バツイチ同棲中*5同姓解消したて、といろいろなヤツに愚痴こぼしました。いやになったひともいたね。ホントにご迷惑おかけしました。イベント会場で愚痴聞かされた人もいたし(この人が例のグループの最年長者、「チックル」さんです)。
このときの衝撃がいかにすごかったかは、「『るろうに剣心』で薫ちゃんが死んだ(生きてたけど)シーンに『悩みを5分でもふっ飛ばしてくれたから』という理由で感謝したほど」。こんな読者他にいたか探してみたい(逆に弟はこれがきっかけでるろ剣を全部読み返してジャンプをまた買い始めたほどハマったような気が)。その話の翌日は、バイトに出勤するために家を出た朝7時から昼の12時までずっと泣いてました。上司はどう思っていただろう。こき使われたけど。休めばよかったけど家にいられないしさ。始めたばっかだったし。

ある年(多分1999年から2001年の間のどれか)のバレンタインの23時ごろ、お風呂場で「うわーっっっ!!!」と大声で泣き叫んだこともあります。あまりの大声に、母が飛んできてお風呂場開けた。彼女とそのときなに言い合ったか覚えてない。ただ、99年春、一時回復した気がする。そのときのバイトで、「一度日暮里へ出てから、その日は金町へ行く」というので、私鉄で行こうか地下鉄で行こうか迷って、私鉄で行くことにした、と言ったら、「やっと景色を頓着する余裕が出たのね」と言ってましたから。
その後、2000年の夏の「BLUE DIAMONDS」*6では「友達に恵まれてほどほどに幸せです」と書いた記憶があるけども、この年知人の結婚ラッシュでね、意外な人が結婚して、なぜかものすごい敗北感を背負ってしまうわけ。理屈ではお門違いだとわかっているんだけど。それで恐ろしいことに、そういう状況で、しかも主催のアンソロジーの原稿がそろいつつある、ガンダムW男女オンリーイベント開催3週間くらい前にバリ島につき合わされてここでも新婚に当てられて。涙が止まらなくなったりして、とうとうタウンページで母が見つけた心療内科に行って来い、と言われます。
それからも、いろいろあったなあ。会社は分裂するし。ひとり暮らしは始めるし。睡眠障害で朝起きるのに苦労してぎりぎりに起きて、朝風呂入ってタクシ−通勤することも結構あって。会社やめて。睡眠障害治ったらしいのって、結構最近の気がする。2005年くらいからかな、「どんどんよくなってる」って、病院行く度に言われるようになって。

病気ヒストリーを書いてしまいました。人によっては「なんだ、こんなもんか」と思うかもしれないし、「あたしのほうがもっと辛かったしひどかった」という人もいるかもしれない、なぜかあたしは死のうとは考えなかったからかもしれないからかね? ある本を読んだ時に「こんなあたしなんか死んだほうがましかな」と思ったことはあるけど、ホントに絶望してたら、いじめられてた小学校3年生のときにどっかから飛び降りてた可能性はある。この頃ぼんやり作家になりたいと思ってた気がするけど、理由は「通勤がない」からなんだ。これ主治医に言ったら「当時よっぽど疲れてたんだね」と言われたし。小学生時代よりマシだと考えてるのかもしれない。

ただ、今日のことは、よく反省しなくてはいけません。理由は病気にあるんだけど、そんなの誰も信じてくれないから。2000円は授業料だったと思うことにします。自分が馬鹿だったと思うから、悪い言葉で言えば「泣き寝入り」します。でも、同じ間違いは二度としないようにしたいです。

それにしても、「手を洗う」ってことはタイムロスにもつながるから、できるだけ避けて、そうしないような手順で行動してるんだけど(だから、不意に手がスカートとエプロンの境に触れてしまったというだけで内心パニック。これはなぜかいつまでも慣れません)、これって間違いなのかなあ。気がすむまで手を洗ったほうがいいのかなあ。主治医が「手を洗うのは最後まで残る症状ですよ」と言ってたから、主治医や親の「よくなってる」って言葉を信じて気長に行ったほうがいいのかな。

長い文にお付き合いありがとうございました。読んでくださった皆さんに感謝します。

*1:某M銀行のうちのサイトだけの符牒。詳しくは「ぬいぐるみは見た!」シリーズのひとつであるhttp://www.interq.or.jp/sun/kayoco/newpage86.htm参照。皆さんこの言葉じゃんじゃん使ってください。ただし、「ここで使ったよ」という事後報告は忘れないこと。その手の報告は西山喜びます。12年前、自作小説で書いた台詞を地元の中学生が会話で使ってくれたと報告してくれた時の嬉しさは今でも忘れられないな

*2:もしくはラーメン屋やパチンコ屋のおしぼり

*3:これが、奴がうちへ来た最後になります

*4:この経験が、最初のガンダムW小説を書かせたのだ

*5:この件の直後にでき婚して、今はふたりの子持ち、上の子は春で8歳

*6:我が個人サークル「口達者同盟」の情報ペーパー。イベントのたびに配布している