「心の性別はなにに基づくのだろう?」
これに類する言葉を読んだのは、10年くらい前の「ぱふ」の、元名物編集者・池尻環氏の連載の中でした。わたしは90年代、ぱふの愛読者でした。当初はBL主体の編集方針についていけなくなりかけたけど、西村しのぶの情報があったので買ってました。今はすっかりBL情報誌ですね。
当時池尻氏は、なつかし漫画をひと月1作紹介していました。ピックアップされた作品は「ばあじん・おんど」(読んだけど、アタマ悪そうというか……合わなくて最後まで読まなかったかも。決して嫌いなノリじゃないはずなのに。高校2年の女の子のてんやわんやの初体験騒動を描いたお話で、いろんな男性が出てきて、バージンじゃなくなるとタイトルが変わった)から「あしたのジョー」まで。「あしたのジョー」は今で言う腐女子的な紹介で。ドリーマーでもあり腐女子的でもあり、ギャル系漫画(「ばあじん・おんど」て今で言うそっっち系でしょ?)も読むみたいだし、オタクはこれくらい幅広く器広くありたいね。
ちなみに腐女子に興味があるうちの弟も偏りのある人間には批判的です。というか、「いちご100%」の作者が腐女子だと聞いて驚いて、それで、2ちゃんで腐女子批判してるヤツらより彼女たちのほうが懐が深いんじゃないかと思えたのが興味を持ったきっかけらしい。これでヤツは「なにを聞いても驚かなくなった」とか。
いい加減本題に入ろう。
この池尻環さんのコーナーで「フィメールの逸話」という漫画が紹介された。
お話はかいつまむと、ある男の子に想いを寄せていた内気な男の子が、失恋で自殺した女の子の体に入って生き返り、生き生きとした女の子になって、想いを寄せる男の子に迫る、というもの。タイトルの記憶が正しくてよかったわ。
で、この男の子、今で言うMtFじゃないかと思ったの。
この項の冒頭に書いた言葉は、このとき池尻氏が書いた言葉の大意です。
男脳女脳チェックなんかをやったり、トランスさんのものの考え方・好み趣味に触れるうちに、そんな疑問がわいてきて、この記事を思い出したのです。
ものの好みや趣味やどんなことにスペックが高いかは、個人差だって、佐倉智美さんの本を読んで学びました(まあこの人はかなりスペックの高い人というか、結構なんでもできる人なので。ぶきっちょなあたしからしたらうらやましい)。
ただ、このチェックをやったら、けっこう「両性具有」とか「中性的」とか出る人は多いような気もしました。あたしの家族は絶対このタイプでしょう(言い切れます)。やや男性よりになるかもしれませんが。
なにが原因になってからだの性と性自認が違ってしまうのかはわかりませんが。なんでもGIDのひとにアスペルガー症候群を併発してる率が結構あるという話も最近とあるトランスさんのところで読みました。後者的なものは自分について疑った方がいいと今は思っています。あたしはいくらなんでも何もできなすぎるから。
いつかこの疑問も解明される日が来るんですかね。
あ、池尻氏ですが、昔ぱふを読み始めた頃、バックナンバーを取り寄せたら、やっぱり彼女の連載があって、「私は誰の挑戦でも受ける! ただし負けないとは言ってない」という書き文字があって笑えました。この台詞大好きです。この人射手座だってところがアタシと同じでこれも嬉しい。編集者のキャラクターがここまで爆発してた雑誌なかったよなー。ああ楽しかった。元ぱふの人が、コバルトの企画ページ担当してることたまにあるのよ(トリビア?)。